5/19 難波先生講義

《難波先生講義》

難波先生から、最小限住居について、レクチャーしていただきました。
以下、講義の内容です。


最小限がうまれた歴史的背景を理解してもらいたい。

・最小限は18C、フランス革命により市民平等の思想が生まれ、庶民の為の最小限の生活、権利の獲得により生まれた思想。
・住宅に対して最小限ということが言われ始めたのは20世紀である。それまでは、建築の原型(アーキタイプ)を追及する動きはあった。例えば、建築の原型とは、シェルターか?シェルター+炉か?
・ヨーロッパの初期の事例として、エルンスト・マイの最小限住居(1926、CIAM第2回「最小限住居」、Neuf frankfurt集合住宅)が挙げられる。15平米の集合住宅である。このころは時代背景として、第一次世界大戦ロシア革命により庶民の為の最小限の生活を維持する住宅が必要とされていた。最小限のスペースで最高のパフォーマンス及び最小限の動線を目指して、キッチンが計画されている。
・エネルギー的には戸建てより集合が有利である。ヨーロッパでは、集合が主流である。では、なぜ日本で戸建てなのか。そこには、政治的な理由が原因している。
・1950年、立体最小限住宅(池辺陽)として、日本に最小限住居が登場した。この年は、公団が設立し、住宅ローンが始まった年でもある。1945年以降、15坪以上の住宅建設が制限されていた背景がある。与えられた敷地面積の中で、ヴォリュームを最大限に使用としたのが、以前の面積最小限から発展した点である。狭いが、1人1人、自分のコーナーを持つ。
・設計の際に、どういう家族形態を想定するかも重要である。池辺陽の活動した戦後のこの時代は、核家族化が進み、民主的な家庭に向けて男女平等が進んだ時代である。最近では、山本理顕の、1家族1住居を否定する流れも出てきている。
・日本の最小限住宅で、戸建が多いのは、戸建ての住宅を推奨する政策が施されたからである。なぜ戸建が採用されたかというと、アメリカの戸建を模倣したからである。しかし、日本には、アメリカほど広い敷地はないために、敷地が足りないという問題が生じた。いっぽう、ヨーロッパでは、集合住宅が主流となった。ヨーロッパ人も戸建てに住みたい人が多いが、集合住宅の形態を取った。もし、日本が倣ったのがヨーロッパだったなら、日本でも戸建てではなく集合住宅の最小限住宅になっただろう。
・1951年、池辺陽が住宅で、キッチンレスキッチンを提案した。自立する夫婦のためのTキッチンである。難波先生が、πキッチンをデザインした。
池辺陽に続き、増沢恂の立体最小限住居(1952年)が出現した。9坪ハウスである。
・1954年、池辺陽セミデタッチド・ハウスを設計した(住宅No.17)。壁一枚で2住戸が連なる構造である。結果的には、相続問題で、片方の土地を売りに出すことになり、両方とも取り潰しなってしまった。
・1958年、集合住宅で最小限の試みを行う(住宅No38ケーススタディハウスNo1)。四谷に現存している。
・ヴォリュームを如何にコンパクトに機能的に設計するかには、寸法が最重要である。今回の課題でも考えてもらいたい。コルビュジェが「モデュロール」(1949)を提案した。モデュロールは、人体寸法に合わせた寸法体系であり、フィボナッチ数列を応用している。はじめは男性の身長としてスランス人の平均身長175cmを採用していたが、後にイギリス人の平均身長である183cmに変更された。これは、イギリスで工業化が最も進んでいたからという政治的理由が影響する。モデュロールを使用して設計した例は、マルセイユのユニテ(1952)である。天井高2.26m、間口3.6m、奥行き26mである。住居をコンパクトにし、地上部分の自然・緑を多くする思想に基づく。最小限の住居とは、最小限の集合であり、最小限の都市をユニテの建物の中で再現した(住棟内にショッピングモールや病院を配置)。
アメリカでは、1931年に、アルバート・フライのアルミネア。エネルギーの最小限化を図った。
・1932年、バックミンスター・フラーダイマクシオン・ハウスを提案した。風呂をミストで済ませたり、最小限の水でトイレを流したりと、最小限を突き詰めている。更に1946年にウィチタ・ハウス、1967年にモントリオール博のアメリカ館、その後マンハッタン・ドームなどを考えた。最小限の材料で、最大限のヴォリュームを得るため、球という形を用いている。
・イギリスでは、ゼロエネルギー団地(2000、ビル・ダンスター)が建設された。自然換気の換気棟が特徴的である。外壁はレンガ、室内は木。ダブルスキンのサンルームに蓄熱させる。



難波先生の講義の後に、受講生が、各自が考えている最小限・構法・目標とする(目標としない)建築の例を発表しました。

坂本
最小限=空間分割・家具の一体化・気配や動きで距離感
構造=木造軸組み(家具と一体化させるため)
イメージ=桜台の住宅(長谷川濠)
     2004(中山英之)
     藤本壮介

イメージ=高杉庵
最小限=エネルギー消費・自給自足

須田
最小限=住宅の窓
    住み手=都市で生活する単身世帯の戸建て5m*5m
材料構法=木造・在来 外断熱
イメージ=nLDK 何面大きな開口(のアンチ)

大沼
最小限=建蔽率・3世代で補い合って住む
設計構法=
イメージ=ミニハウス(アトリエワン)53%/60%

草川
最小限=交換可能なものが最小限なのでは
    常に家の中で快適な場所を探し続けて移動し続ける家
    窓際の生活
素材=土・木
イメージ=外皮を厚くし開口部周りで行為が起きる

栗原
最小限=犯罪の最小限化 住民がより安全に
材料=木造 ローコスト
      防犯性能が低い密集地帯
イメージ=個室群住居(岡山の住宅)
     箱の集落2006

飯島
最小限=照明を最小限 昼間は窓際 夜間は1個の照明
材料=木造 一部RC
イメージ

牧野
最小限=家事 被災者のための家族
       水周りを共有 壁の共有 ピーク時消費電力20%削減
材料=1階RC 2階木造
イメージ=ふじようちえん
     端ができない家

清野
最小限=暖冷房負荷
材料=地中に埋める 季節ごとに地中部・地上部を行き来する
イメージ=キンベル美術館間接光

山田
最小限=エネルギーや食料依存を最小限に
材料=鉄骨
イメージ=F3house


最小限=移築コストを最小限
構法=木材・鉄骨 移築 材料の記憶
イメージ=アルミエコハウス


最後に、講師の方々より、受講生の発表に対するコメントを頂きました。

難波先生
・山田君が挙げたF3HOUSEは、夏に室内65℃なり、訴訟に至っている。くりもとミレニアムシティの広葉樹も日射を遮るのは難しい。温室・トップライトは日本では厳しい。
・なんでそれを最小限にしたいのか?そういう質問をさせない理論武装が必要。「ゲームです」と割り切るのもある。
・最小限にするのは、ヴォリューム・エネルギー・家族の人員が挙げられるだろう。
・家族人員の最小化という視点で考えると、単身のための最小限住宅がありえるのでは。また、単純な家族人員の最小化では一人暮らしが考えられるが、1人で完結できない行為もある。家の機能の最小限化とは何か。
・都市であれば移動を最小限化することも有り得る。SOHOで済まない都市スケールのビジョンで考える必要がある。
・集合になったときの周囲を想定する必要がある。
・人間の最小限必要な面積について考えると、今の地球は成り立っているのか。
・どんなにコンパクトにしても必要なインフラが忘れられているのではないか。PCの電力は絶対必要?
山本理顕の2.4m角のひとりの空間のヴォリュームの積み木。
・最小限の究極の原子力潜水艦・カプセルホテルを研究すべき。
篠原一男の考え方は、家は大きければ大きいほうがいい。
・1960年代にはマイクロアーキテクチャー(リチャード・ホールステン)などの研究が沢山なされたが、最近では工業生産化などの研究がなされていない。
東日本大震災では、仮設住宅の6万戸のうち、3万戸は間に合わないので木造。ログハウス的な構造で、部材は再利用する。
池辺陽のプランは完璧。
核家族は戦後の制度である。すなわち、自然なあり方ではない。
・世界中の未開民族を調べたら、核家族がやはり単位だった。子供を育てるという役割を、両親が担っていた。

前先生
・来週くらいまでには最小限を決める。必然性を兼ね備えた最小限を再設定する必要がある。地震に全く関連ないものを、最小限の対象として選んでいる。なぜ最小限にしなくてはいけないのかの理由も考える。
・熱負荷等の観点からは、体積と表面積のバランスが大事。

井口さん
・水の議論が出なかったのが、良いのか。インフラを使用できるか考えるのも重要である。